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就職して間もない若い頃は身軽な事もあり、割と転職を実行に移す事が出来ると思います。しかし40代ともなると多くの方は家族を持ち生活のレベルを落とすわけにもいかないし、タイミング的にもう失敗を繰り返すことも出来ません。

しかし、場合によっては転職を余儀なくされる、もしくは転職しなければ生活そのものが向上しないなど、背に腹は代えられない状況で行動を起こさなくてはならないケースもあるでしょう。

私は大学を卒業後、東京の大手設計時事務所に12年、友人の住宅関連の設計事務所に5年勤務していました。

30代の後半で結婚し、40歳になってから子供を授かりました。妻とは同郷だったのですがお互いに一人っ子。子供を故郷で育てたい、ということと両親の今後の事を考えて41歳の時にUターンすることを決意しました。

地方で求人を探すことの難しさを実感

まだリーマンショックが冷めやらない時期。そんな時に地方として転職先を探すというのは先が思いやられました。地方都市では設計事務所で生計を立てるというのは難しく、ゼネコンの設計部を中心に探すことにしました。

しかし、永い間故郷を離れていたため、地元企業の実情を調べる術もなく、とりあえずはネットで情報収集。転職サイトや直接転職希望の業界のことを調べる毎日。

しかし、なかなか希望が叶えられる会社は見つかりません。折角地方に戻ったところで中央資本の支店などに勤めたのでは、転職した意味もなくなってしまいます。(給与は良い方かもしれませんが)

特に気になったのは当然のことながら給与と職務環境です。地方の経済環境は場所にもよるとは思いますが首都圏と比べれば驚くほどレベルが低いのです。

物価が安い、とはいえ必需品の値段は首都圏とそれほど変わらないので実質生活レベルは下げざるを得ません。メリットがあるのは生活環境とか縁故の社会(面倒なことも生じますが)であるとか、経済的なところではないのです。

運命的な企業との出会い

そんなこんなと思い悩んでいたところ、ある企業に目が留まりました。ちょっと地方都市らしからぬ事業展開をしている会社で、やりたいことが合致しそうな雰囲気がありました。

1年近くリサーチしてその会社くらいしか目に留まらなかったのですから、アプローチしてみる価値はあるのでは、と一大決心をしてメールで採用予定の有無を確かめることにしました。(HPなどでは求人は行っていなかったのです)

暫くすると担当者の方から返信がありました。とりあえず帰省した時にでも直接話をしませんか、とのこと。夏季休暇も近かったので、早速アポイントを取り面接して頂くことにしたのです。メールには当然簡単なプロフィールを書き、後日正式な履歴書も送付しました。

そして面接当日。社長との面談が始まったのですが、開口一番「君、私の後輩なんだよね」という一言。HPでは判らなかったのですが、社長は私より10才年上の大学の先輩だったのです。

研究室も隣の部屋で、知り合いも数多くいました。前職の上司とは先輩後輩の仲だったため、職場の事も良くご存じで、その場で即採用が決まったのです。

その時に抱えていた仕事の整理やマンションの処分などの問題を片付けて、ほぼ半年後に入社させてもらうことで合意。その後は帰省に向けて忙しい日々を送り、予定通り半年後に帰省を果たしました。

大きな会社には無い魅力

入社してから1年くらいは社長と共に行動し、人脈作りやら会社の営業スタイルを身に着けたり。その後設計部門配属、暫くして設計部長として任を命ぜられることになりました。

仕事の内容はこじんまりしたものになりましたが、お客様との接点が多く、また狭い社会であるがゆえに人付き合いも濃いものになり、割とすぐに打ち解ける事が出来ました。

予想通りというか、ちょっと困ったのは待遇面でしょうか。やはり年収は下がりました。年収は100万円近くダウン。そのかわり借り上げのマンションに格安で住み、出社時間は歩いて5分、残業は殆どなしなので夏場は明るいうちに帰宅できるほど。

時折早朝会議があるので6時に家を出る事はありますが、年間を通してみれば負担は多くありません。むしろ家族と過ごせる時間は格段に増えました。

今は会社でも相応の立場なので、徐々に経営面にも関わるようになっています。もう自分の待遇は自分の業績次第、というところまで来ました。

短期的、中期的には少々苦労する面はありますが、残りの人生を会社経営という重要な役割で過ごせるというのは責任が生じるとはいえ遣り甲斐はあります。

大きな会社に在籍し、見えない力で将来を決められてしまうよりはむしろ幸せなのかもしれない、と思う日々です。