[PR]
大学卒業後、シロアリ業界の法人営業の正社員に就職が決まりました。
学生時代、自己分析をし女性でもバリバリ働きたい、男女分け隔てない総合職が自分には向いていると判断し総合職での就職活動をしました。そして、縁あって白アリ会社に内定をもらいました。
仕事が辛く、転職を決意
営業の大変さを身をもって感じ、肌に合わないと毎日会社に行くのが嫌になってしまいました。仕事が休みの日も明日からまた仕事が始まると思うと憂鬱でリフレッシュもできず悶々とした毎日を送っていました。
法人営業なので住宅会社や工務店、大工さんに飛び込み営業で行くのですが、法人と言えども飛び込み営業はかなり大変で結果の出ない日々でした。
大学卒業の新卒で入社したので、同期とのお客獲得数の争いみたいなのもあり、自分が取り残されているのを感じていました。ちょっと前まで学生だった自分には、キツイ仕事でなかなか本気になれず妥協してしまうこともありました。
そういう毎日を過ごしていたので、やめたいという思いがでてしまい入社数か月の頃には本気で転職を考え始めました。
営業職なので給料は新卒でも20万近くあり、お金には不満はなかったのですが、お金よりこのストレスを解放したいという思いが強かったです。
海外の仕事に興味を持ち、すぐに退職願を出した
転職を考えたとき、事務職ができるかと言えば不安もあり、大学時代に海外旅行が好きだったこともあり海外での仕事にも興味を持っていました。
語学も身につけたかったので語学留学している間隔で少しでも働けたら良いなと思い、あれこれ考えず海外に行くことを決めてしまいました。
若かったからすぐに決断ができたと思います。30代以降だったら、先のことや安定した生活を考えあてもなく海外にいくことはないと思いますが、若気の至りで
思いたったらすぐに会社に退職願いを出し、ボーナスをいただいてその年の12月に退職しました。
賞味8か月しか働いていなく、新入社員にお金や時間をかけ教育してくれた会社には申し訳ない思いもありますが、いつかやめることになる会社だと感じていたので早い方が良いと思い決断しました。
いざタイへ!そして、日本料理屋に就職
退職後、3か月ほどは休んだり海外移住への情報収集や準備をし翌年の2月頃海外に出発しました。
国は卒業旅行で好きになっていたタイを選びました。物価が安いのでお金がかからず海外に移住できるというのが魅力でしたし、食事や文化もあっていたので日本のストレス社会から解放されて自分には合うと思っていました。
ですが、仕事できるあてもなく移住したので、最初は貯金を切り崩しての生活でした。
たった8か月正社員で働いた時のお金だったのですぐにでも少し仕事しないと貯金がなくなってしまいそうなぎりぎりの状態でした。
そんな時であった日本人のお婆さんから日本人の女性を募集している日本料理屋があるから、どう?と声をかけて頂き、藁をもすがる気持ちで応募しました。
首都のバンコクではなく、60キロほど離れたアユタヤという田舎ですが、日本語しか話せない自分が働ける仕事はほぼゼロに近いので条件は、今の自分で働ける仕事ということだったので、田舎という点は我慢するしかありませんでした。
近くに大きな日系の工業団地があるので、お客さんは日本人なので、店長としてお店を切り盛りするというのが仕事内容でした。
スタッフは皆タイ人だったので、タイ人の教育とスタッフとお客さんのコミュニケーション、日本料理の味のチェックなどを日々していました。
転職して良かったこと
住むところはお店の2階に一部屋あったので3食+住むところも確保されていました。給料は日本円で10万円ほどでしたし、ワークパミットもとれたので安心して仕事をすることができました。
給料面は税金や保険など払うと7,8万円残り、日本で正社員として働いていたころと変わらない額が手元に残るという状況でした。
転職は一つのことを長く続けられない人というマイナスのイメージを持たれることもありますが、私は転職には肯定派で、転職して良かったと思っています。
転職前は毎日ストレスでイライラした日々で、何も楽しみがなく悶々と毎日を過ごしていましたが、転職してみて知らない世界を知ることができ大きな経験を積めたと思っています。