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転職前の仕事
現在43歳の女性です。
一番最初に働いたのは、短大卒業後に就職した京都の保育園です。
産まれも育ちも愛知県。短大も愛知県ですが、当時バブル崩壊後の最初の就職氷河期でして、求人の雇用が臨時職員枠ばかりでした。
その中で正規採用の求人を見つけて就職試験を受けましたが、採用にならず、このまま臨時採用の保育士にはなりたくなくて、地元を離れ、県外の求人も探しました。
そのとき見つけたのが京都市西京区の認可保育園でした。藁をもすがる思いで就職試験を受けにいきました。
そして、無事採用していただくことができました。
その保育園は0歳から5歳までのクラスが1クラスずつあり、園児数90名ほどのそれほど大きくない保育園でした。
お寺がやっている保育園で保育方針は仏教保育でした。
そこで私は8年、クラスは0歳から5歳すべて担任をさせて頂きました。
転職のきっかけ
段々保育に慣れてくるとやってくる行事も余裕をもってできるようになり、先々の打ち合わせもしたり、保育に慣れと経験で刺激がなくなってきました。
ある時から私の保育はよそにでたらどうなるのかな?通用するのかな?と思うようになったのです。
そんな時、私が実習でお世話になった愛知県〇〇市の保育園の園長先生から連絡がありました。
私が短大の時にお世話になり、就職活動をしている時にもし求人があれば採用試験を受けたいことをお願いにも行きましたが、その年は誰も採用をされないとのことであきらめたのです。
それから園長先生とは年賀状のやりとりをしていました。
年賀状に毎年私が保育園で行事をしている写真の年賀状を送っていたので、園長先生も覚えていてくださったのだと思いました。
園長先生が言いました。
「お久しぶり!今度さ、新しく保育園作るんだけど、帰ってこない?」
私はちょうど他の職場で自分の保育がとう通用するのか試したくなっていたので、実家のある愛知県に帰り、その保育園へ転職することを決めました。
転職後は主任保育士に就任。でも、働いているうちに…
転職した歳は28歳。短大をでて、一つ目の保育園で8年働いたことになります。
そしてブランクもなく愛知県に帰ってきて、働き始めた保育園ではなんと主任保育士の役職をもらいました。
その保育園は乳児専門の40名定員の保育園でした。
乳児保育だけすることもはじめてですし、それに食育に力をいれて、食事はおやつも含めてすべて手作り。パンも手作りで作るこだわりでした。
そして、行事も満載でした。とにかく保護者に園の行事に参加してもらい、お子さんの成長を見てもらうことと子育て支援にも力をいれて、未就園児の子育て支援事業を月に1回開催していました。
おまけに園長先生がとても綺麗好きであり、乳児ということもあり、掃除と除菌が徹底されていました。
そんな完璧な保育園だったので〇〇市では人気の保育園でした。
私は主任保育士だったので園がうまく流れるような舵取りをする役です。
当時採用されていた職員は全員新人の新卒者でした。
まだ学生あがりの職員をよく怒ったり、職員の失敗に保護者に謝ったり、今思えば私も若かったのでその指導は難しかったです。
そして、その保育園で一番苦労したのがお金の問題です。
園長先生はお金を出してくれませんでした。教材をすぐに買ってはくれず、掃除道具なんて壊れてもテープを巻いたりして使っていました。
立て替えるつもりで必要物品を買ってくると、「今細かのがないからさ、後で返すね」と領収書をもっていかれ、後日返してくれる様子がないので聞くと「そんなこと知らない。領収書もないよ」と言われたこともありました。
それに給料も間違えたりされました。
例えば21万の給料だったとしたら、ゼロをつけ間違えたとかで210円というありえない金額が振り込まれていて、銀行の記帳した通帳をみてびっくりなんてことも多々ありました。
それを言うと普通は謝ってすぐに振り込むと思うのですが、謝罪もなく「じゃあ、来月払うわ」と言われるのです。
それに、お金の回収にも理不尽なことがありました。
それは職員の車と保護者の送り迎え兼用の駐車場のお金を取るのです。毎月正規職員からは5000円徴収され、なぜかパートの職員はもらわないのです。
そして、お歳暮、お中元の季節にはその駐車場をかりている地主さんにあげるためのお金も徴収。
それから、休日出勤させても代休もなし、残業代も出さないといったようなことで、何回も残業代くださいといったり、立て替えを払わないことに喧嘩になることもしばしばでした。
職員に保育内容や掃除のこと厳しくしていながら払うものを払わないなんて最悪です。
だんだん何のために働いているのかわからなくなり退職しようと決めました。
退職後の退職金は1年以上待ってやっと払ってもらいました。
今思ったら、自分の保育がどのように通用するのか仕事の視野を広げたくて転職をしましたが、
その際に待遇面や給料面、残業代がつくのか、はっきり聞いておけばよかったなと思います。
もう保育園は充分だったので、自分の保育人生の緞帳をおろしました。
今は、公共の施設で未就園児を対象にした子育て支援をしながらお母さんとおこさんのふれあいを大事に活動をしています。